店に来られたお客様から、丸山タンクの昔の話をよく聞きます。
店に飾ってある写真を見て思い出されるようです。
今はレンガ造りの土台しか残っていませんが、タンクのあったころの話。
タンクの中でよく泳いだそうです。
ここでよく、子供頃遊んだとか。
近所のおばあさんは、うちの前を掘ると天竜川からタンクへ水を引いた管が残っているとか。
タンクの横にタンクを管理している一家が住んでいたとか。
皆さん懐かしく思い出されるようです。
今日は、丸山タンクが活躍していたころの岡谷の製糸業の歴史を紹介します。

岡谷の製糸業の歴史

明治以前は
 手挽(てびき)時代 片手で生糸に撚りをかけ、一方の手で枠を回す。
に始まり、次に
 ざぐり時代 歯車を組み込んだ早手回し器械
そして、機械時代

 明治時代

<黎明期>

 (1867) 大政奉還が行われる
 4年(1871) 廃藩置県が行われる
 5年(1872)  12月3日を6年1月1日として、太陽暦に改める
 5年(1872) 官立で富岡のフランス式繰糸場が操業を始める(富岡製糸場)
 6年(1873) 徴兵制が出される 地租改正が実施される
     岡谷に機械製糸はじまる
 8年(1875) 平野村に中山社が創設され創業を開始する
       木製の「諏訪式繰糸機」が実用化される

10年(1877) 平野村に製糸結社皇運社が成立する
12年(1879) 開明社(片倉兼太郎・林倉太郎・小沢金左衛門)創立する

<発展期>

17年(1884) 開明社は共同揚返場を設立し、品質の統一を図る
18年(1885) 小口吉太郎、繭保管庫を造る
22年(1889) 大日本帝国憲法が発布される
24年(1891) 第十九国立銀行諏訪出張所が開設され製糸業発展の力となる
     『日本の産業革命』 製糸業が日本にとって重要な産業となった頃

<確立期>

27年(1894) 開明社から片倉製糸が独立川岸の西部中学下に大工場を造る
27年(1894) 日清戦争が始まる( 〜28年)
35年(1902) 製糸同盟が成立。職工が「登録制」となる
37年(1904) 日露戦争が始まる( 〜38年)
38年(1905) 中央線が開通し、繭の搬入が鉄道輸送となる
     あゝ野麦峠の頃

<全盛期>

42年(1909) 諏訪倉庫株式会社が営業を開始する
43年(1910) 平野製糸共同病院(前岡谷病院)が製糸業者の共同出資で建立
44年(1911) 小村寿太郎が関税自主権を回復する

大正時代

 3年(1914) 第一次世界大戦が始まる( 〜7年)
       ヨーロッパの製糸業が衰退、アメリカ向け生糸の輸出増加する
       優良糸を製造するため機械の改良、技術の向上に努める
       煮繭と繰糸の分業化が進む。「長工式煮繭機」考案される
       生産性を上げるため「多条繰糸機」が開発される
       新しい繭を補給する接緒の機械化「接緒機」の発明

 3年(1914) 製糸工場への給水のため丸山タンクが建設された
 6年(1917) 製糸従業員の娯楽施設として「宝劇場」が建てられる
 8年(1919) 平野農蚕学校(明治45年開校)が平野蚕糸学校となる
        (9年に諏訪蚕糸学校、昭和13年に岡谷工業高校となる)

 9年(1920) 生糸1俵4370円の大高騰から1100円への大暴落
12年(1923) 9月1日、関東大震災がおこる
14年(1925) 片倉組全国一の巨大製糸となる
14年(1925) 普通選挙制が実現する
15年(1926) 「輸出製糸検査法」が公布される

<転換期>

昭和時代

 2年(1927) 製糸工場労働者の待遇改善をめざして「山一争議」が起きる
 3年(1928) 片倉組が保健衛生娯楽施設として上諏訪に片倉館浴場を建てる
 4年(1929) 世界恐慌が始まる
 5年(1930) 製糸工場の休業倒産続出する
 6年(1931) 満州事変がおこる
       恐慌下危機対策としてカルテル組織で「丸興製糸株式会社」設立
       第十九銀行と第六十九銀行が合併して㈱八十二銀行となる
10年(1935) 信頼性向上のため、岡谷生糸検査所が事業を開始する
11年(1936) 市制施行し岡谷市が誕生する 初代市長 今井梧桜氏
       繭取引の格付けのため、長野県繭検定所岡谷支所が業務を開始
12年(1937) 日中戦争が始まる
14年(1939) 第二次世界大戦が始まる( 〜20年)
15年(1940) 帝国ピストンリング岡谷工場が創業する
16年(1941) 太平洋戦争が始まる( 〜20年)
16年(1941) 「製糸業統制法」が公布され日本製糸統制株式会社が設立
20年(1945) GHQが財閥の解体を指令する
20年(1945) 岡谷市長に林七六氏が就任する
21年(1946) 日本国憲法が公布される
22年(1947) 岡谷市長に林将英氏が就任する
23年(1948) 実用技術開発のため、農林省蚕糸試験場岡谷製糸試験場が開設
24年(1949) 岡谷市長に宮坂健次郎氏が就任する
25年(1950) 座繰製糸が復活する
30年(1955) 湊村、川岸村が岡谷市に合併する
32年(1957) 長地村が岡谷市に合併する
38年(1963) 初めて中国・韓国から生糸を輸入する
38年(1963) 岡谷市長に林浩正氏が就任する
39年(1964) オリンピック東京大会が開かれる

参考文献: ふるさとの歴史 製糸業 岡谷製糸の展開
岡谷市教育委員会 発行

丸山タンク2019年9月28日の写真
2019年9月28日
丸山タンク2019年9月28日の写真
2019年9月28日
丸山タンク2019年9月28日の写真
2019年9月28日
丸山タンク2019年9月28日の写真
2019年9月28日